「恋文の街」二ツ井町から、秋田の地酒を販売・発送致します。

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荷上場の地酒復活プロジェクト

 

 

~ 200年前の地酒ブランドをどぶろくで ~

 

 

当店がある二ツ井町にあげば地区は、「荷物」を「上げる」「場所」で「荷上場」と

 

書きます。米代川と藤琴川の合流点であり、古くから舟運の要所だった当地域では、

 

渡し舟で運ばれてきた荷物の上げ下ろしをする舟場だった歴史があり、それが

 

「荷上場」という地名の由来です。

 

 

 

 

さらに、江戸時代の主要交通路「羽州街道」が通り、人や物流の拠点だったことから周辺

 

の地域では栄えた村でした。この荷上場村で代々、肝煎(きもいり・佐竹藩から命ぜられ

 

村政を取り仕切る村長にあたる)を仰せつかっていた「菊池家」という旧家があります。

 

 

 

 

この菊池家は周辺の村々のまとめ役である親郷(おやごう・村々の頭村)を務め、その

 

上、秋田藩主御渡野のお休み所や津軽公参勤の中宿になったとて重要な家です。

 

 

 

17代続く菊池家は当地域では通称「酒屋の家(さがやのえ)」と呼ばれています。

 

現在は造られていませんが、江戸時代にお酒を製造していた事が書かれた文書(菊池

 

文庫・秋田公文書館保管)や当時のお酒の銘柄(坂野泉)が彫られた木の看板が

 

残されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

【荷上場とは】

 

 

秋田県能代市二ツ井町荷上場。鎮守・高岩山「高岩神社」があり、天保元年(857)慈覚

 

大師によって開かれた山岳仏教の修験場があった。1530年代には額田氏の山城「館平城」

 

があった。荷上場と呼ばれる前は「酒津(さかつ)」と呼ばれ、小繋村に通ずる舟渡し場

 

を設け、舟渡しや荷物の上げ下ろしをするようになり、徐々に戸数が増加し荷上場村と

 

呼ばれるようになった。慶長(1596~1615)の開村。もともとは矢坂(現藤里町)と

 

一つの村であったものが、宝永(1704~1708)の頃に分離したと記録されている。

 

荷上場は米代川の舟運や羽州街道の要衝とされ、恵まれた立地から、安永3年(1774)

 

に秋田藩が幕府の許可を得て藤琴対岸に加護山製錬所を開鉱。大きな集落を形成した

 

が、ここは周囲からは独立した区域だった。明治4年(1871)に市日が開設され、

 

毎月3回、呉服・太物・小間物・荒物・魚類・雑貨などが販売され、かなりの

 

活況があった。昭和30年に二ツ井町と合併した。

 

 


 

 

【菊池家とは】

 

 

菊池家の元祖は元和8年(1622)肥後国菊池(現熊本県菊池市)に生まれた菊池助兵衛長

 

質。肥後国が没落後、羽後国矢坂邑(現藤里町矢坂)に住むようになった。姓は成田氏と

 

名乗っていた。2代目助内長垣は寛文11年(1671)に秋田藩から山守を命ぜられ、この時

 

から「菊池」に氏姓を復帰した。延宝5年(1677)に肝煎を命ぜられる。正徳(1711)

 

年頃、荷上場村の柳生に独立。荷上場村は舟運や交通の要所だったので周辺の村々の

 

まとめ役、親郷であった。代々肝煎を仰せつかり、津軽公参勤の中宿や秋田藩主御渡野

 

の休み所となった。現在も玄関門わきに「馬乗り石」が残っている。

 

幕末には相当の農地を持つ地主になり、一方、酒造業を営むなどしていた。

 

15代豊太郎氏、16代保太郎氏、現17代当主保男氏。菊池文書は16代保太郎氏が菊池家

 

に残る文書の貴重さと散りうせることを心配して昭和35年(1960)に秋田県立

 

秋田図書館へ寄託。当時の政治・行政・経済・文化・庶民生活の記録がぼうだいな

 

量の文書に残されている。

 

 


 

 

【17代「菊池家」 × 創業140年「伊藤謙商店」】

 

 

荷上場や菊池家の歴史を調べる中で、地域で140年続く唯一の酒販店として、

 

また酒類製造者として、昔荷上場で造られていた地酒銘柄の復活を通して、

 

荷上場の歴史を多くの人に知ってもらい、また、多くの人に訪れてもらい、

 

「荷上場」を誇りに思ってもらいたいと考え「荷上場の地酒」の復活させました。

 

 

 

 

 


 

 

 

【製品(Product)】

 

 

お酒の歴史や当時の技術を考えると、「米の旨味とコクを感じさせる濃醇タイプ」の味わ

 

いだったと推測され、これを県総合食品研究センター醸造試験場の技術指導を受け、

 

「濃醇甘口」タイプのどぶろくが完成しました。

 

 

•原料米について

 

 

江戸時代は精米機による精米ではなく水車や臼で精米していたと想定され、お酒に関する

 

文献によると精米歩合は85%前後だったと推定されます。

 

また、酒造用に米を生産していたわけでなく、主食米の余剰分を酒造りに使用していた

 

(米が豊富に集まる家でなければ酒造りは難しかった)事から、

 

銘柄復活にあたっては現在の主食米である「あきたこまち(自家栽培・米道米)」

 

を約88%まで精米して、当時の味わいを表現しました。

 

 

 

 

 

 

•製造方法、酵母について

 

 

菊池家の酒造りに関する技術的な記述は解読できず、「米の旨味とコクを感じさせる濃醇

 

タイプ」だったと推測される当時の味わいをどぶろくで表現するため、

 

平安時代初期(10世紀初期)の法律規定「延喜式(えんぎしき)」に記された醸造方法

 

「御酒(ごしゅ)」造りのしおり法を応用した「再仕込みどぶろく」製法を新たに

 

考案しました。また酵母については、800万年前に出来たと言われる世界自然遺産・

 

白神山地から発見された「白神こだま酵母」を使用。温故知新の製法と悠久の時を

 

超えた酵母で当時の味わいを表現しました。

 

 

 

 

 

•味わいについて

 

 

江戸時代の仕込み水や米麹の使用比率をみると飲み口は濃くて甘かったと推測され、これ

 

を参考に醸造試験場の技術指導の下、「濃醇甘口」タイプのどぶろくが完成しました。

 

「再仕込みどぶろく」製法はどぶろくにどぶろくを仕込む製造法で濃厚で甘くサッパリ

 

とした酸味が特徴です。また、酵母が生きている生タイプではなく、火入れをして品質の変化や

 

劣化を防いでいます。

 

 

 

 

 

•ラベル、ボトルについて

 

 

江戸時代のお酒はガラス瓶が開発される前だったので、木樽や甕・とっくり等にお酒を入

 

れて運んでいましたが、現在のように流通が発達しておらず地域内で販売・消費

 

されており、そのため酒蔵では木彫りの看板で銘柄名を周知していたと考えられます。

 

本プロジェクトでは菊池家にある木彫りの看板を「木のラベル」で再現。菊池家の

 

歴史も合わせてお届けします。また、ボトルについては、「機械栓ビン」を採用。

 

この「機械栓ビン」は瓶に針金と栓が一体に取り付けられているタイプのビンで、

 

レトロな印象が銘柄復活のイメージとマッチします。

 

 

 

 

•製造、販売について

 

 

当店の創業は1878年(明治11年)、薬屋として開業。その後、全酒類販売免許を取得。

 

2015年(平成27年)どぶろく特区による濁酒製造免許取得。

 

創業以来、当地、二ツ井町荷上場で営業を続け、現在に至っております。

 

地域で140年続く唯一の酒販店として、また酒類製造者として、

 

荷上場に住んでいる人が荷上場の歴史を知るきっかけに、さらに贈り物でもらった人が

 

荷上場を知り、訪れるきっかけになるように、当店店頭でのみ販売いたします。

 

 

 

 

 


 

「再仕込みどぶろく 坂野泉(さかのいずみ)」

 

 

 

 

720㎖ 2,310円(税込み)